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[特別編]  村川透映画祭に寄せて


 若いころ、スクリーンやブラウン管で躍動する松田優作にあこがれた。当時、彼が出演する作品のほとんどは、村川透監督がメガホンを取っていた。「最も危険な遊戯」「殺人遊戯」(1978)「処刑遊戯」('79)の遊戯シリーズ、「蘇る金狼」('79)「野獣死すべし」('80)の角川映画、日本テレビ「探偵物語」('79)と、村川透監督・松田優作主演作は大ヒットし、時代を席巻した。

 その村川監督が村山市出身と知ったのは、随分後のことだった。どうして山形からこんな映画監督が出たのだろうと驚く。 11年前に、人を介して初めてお会いした。その飾らぬ真っすぐな人柄、温かさに触れ、ますます尊敬の思いを強くする。

 村川監督が日活助監督部に入社したのが、今から45年前の'60年のこと。当時の日活調布の撮影所は、石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子、赤木圭一郎、宍戸錠、芦川いずみなどが闊歩(かっぽ)する、まさに日本映画全盛の象徴だった。それに、吉永小百合・浜田光夫・高橋英樹・和泉雅子・松原智恵子・渡哲也などが加わる。村川監督は、このようなきら星のごときスターとともに、舛田利雄監督西河克巳監督の下で、助監督として映画作りに没頭していた。

 ハリウッド映画「トラ・トラ・トラ!」('70)では、日本側の舛田監督を支え、12人いる助監督の先頭に立ち、獅子奮迅の働きをした。'80年代以降も「西武警察」「あぶない刑事」「暴れん坊将軍」などのテレビシリーズや、映画「BEST GUY」('90)など、途切れることなく撮り続けている。

 昨年6月の柴田恭兵主演「はみだし刑事情熱系」最終回2話も、10月31日「西武警察スペシャル」も、11月7日と今年1月8日放送の高橋英樹主演「十津川警部シリーズ」も、村川監督の演出。これだけ長い年月にわたって、映画・テレビドラマの監督として、第一線で活躍し続ける人は稀有(けう)である。

 この監督の歩んできた道、やってきた仕事を、故郷の人に披露する場をつくりたいという思いこそが、村山市の「村川透映画祭」開催に向けて、私を動かした原動力だった。

 思いを同じくする人探しをした3年前から、共鳴する人の輪は広がる。ありがたいことに村山市も本腰を入れて取り組んでくれるようになり、「村川透映画祭」の開催が決定する。共鳴の輪はさらに広がり、俳優の柴田恭兵さん、赤塚真人さんが「村川監督のためならば」と、映画祭にトークゲストとして駆けつけることに。また高橋英樹さん、さらに村川監督が助監督時代に指導を受けた舛田監督西河監督、斎藤武市監督、先輩格の鈴木清順監督も、映画祭のパンフレットにメッセージを寄せてくれた。この映画祭への共鳴の広がりは、村川監督の人徳、実績のなせる業なのだろう。

 映画祭の上映作品「最も危険な遊戯」('78)「獣たちの熱い眠り」('81)「もっともあぶない刑事」('89)は、今さら言うまでもなく傑作ぞろい。参考上映(入場無料)のテレビ作品「大都会−協力者」('76)では、当時、傷害事件を起こし活躍の場を失っていた松田優作を村川監督が誘い、復帰させた、後にゴールデンコンビと呼ばれるようになる二人が、初めて一緒に仕事をした記念碑的作品。そして、優作が後に再婚することになる熊谷みゆきと、初めて出会った「探偵物語−聖女が街にやって来た」。

 「大追跡−横浜チンピラブギ」('78)は、ミュージカル劇団・東京キッドブラザーズの一団員だった柴田恭兵を、村川監督が映像の世界へいざない、その後、恭兵が初めてレギュラー出演したシリーズで主役を務めた作品。いかがですか、見逃せないものばかりでしょう。

 今回が第一回となる「村川透映画祭」が末永く続き、さまざまな人たちの楽しみ・喜びの「場」であり続け、そして、今でも村川監督が夢を追い続けているよう に、夢を抱き、夢をつかもうと歩み出す若者の背中を、ほんの少しでも押してあげられるような「場」となれば、これほどうれしいことはない。

「村川透映画祭」は、5・6日、村山市民会館。問い合わせは、村川透映画祭実行委員会(村山市役所内)0237(55)2111