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[No.27]  東京ヤクルトスワローズ小山田貴雄選手

冨樫森監督
 ―故・小山田健一さんの息子さんがヤクルトスワローズにー

野球少年だった私の小学生時代のヒーロー、故・小山田健一さんのことを本紙に寄稿し掲載されたのは5年前の2003年5月30日のこと。

1968年夏、小学校5年生だった私は連日、甲子園予選山形県大会が行われている山形市営球場に通っていた。

お目当ては、圧倒的な強さを誇る日大山形高校の4番打者小山田健一選手を見るため。決勝の山形東高戦が17対0の圧勝という結果をみても如何に当時の日大山形高が強かったかをご理解戴けるでしょう。

小山田選手は、その強力打線でもひと際光る豪快な打撃と、強肩堅守の捕手としてチームを引っ張っていた。

180cmを越える長身で、全てが憧れの対象でした。

その小山田さんがその年のプロ野球ドラフト会議で東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)から6位指名され1969年入団。

張本、大杉と共にクリーンアップを打つものと期待していましたが、既に腰を痛めていたらしく、一軍でさしたる活躍のないまま76年ヤクルトスワローズ(現・ 東京ヤクルトスワローズ)に移籍。ヤクルトでも出番はなく、78年現役引退。球団職員としてブルペン捕手を務めるようになる。

いつの間にか、私の記憶から小山田選手は忘れ去られた存在になっていた。2001年、ヤクルトが4度目の日本一に輝いたとき、球場を一周するナインの先頭で ベテランの池山選手が、泣きながら大きな遺影を頭上に掲げていた。その遺影が小山田さんと判ったのは、その夜のスポーツニュースだった。小山田さんは、 99年に胃癌が発覚し退団。手術、治療に専念したのも及ばず、2001年のペナントレース開幕を待たずに亡くなっていたのでした。

日本一の夜、スポーツニュースでゲストの池山選手と、元同僚の栗山キャスターが、小山田さんのことを語ろうとすると二人とも感極まり語ることができない。

その様子で、小山田さんが、如何にヤクルトの選手たちから慕われていたのか、縁の下の力持ちとしてチームを支えていたのかが伺え、自分の少年時代のヒーローは、やはりヒーローだったと確信し、そして、早すぎる死を惜しんだのでした。

 小山田さんの死を知らせてくれた池山選手は、翌シーズンを最後に現役引退。2003年3月に出版した本の中で、小山田さんへの感謝の想いを改めて綴ってくれました。

闘病中、小山田さんの願いは次男・貴雄君がプロ野球で活躍する姿を見ることでした。当時、神奈川県立川崎工業高校のエースで、190cmの長身から投げ下ろ す速球を武器に3年春の県大会では、同校初の神奈川県ベスト8進出の立役者になり、小山田さんもドラフトで指名されるのではと、期待をし、楽しみにしてい たが、残念ながら、その年のドラフト会議で指名されることはなかった。

貴雄君は特待生として青森大学に進学が決まり捲土重来を期すのでしたが、入学直前の2001年3月20日、健一さんは50歳の若さで他界。

父の想いを胸に、進学した貴雄君でしたが、右肘を痛め、2年の時に手術。そのまま満足に登板することもなく大学生活を終えることになる。それでも、プロ入りの夢を諦めることはなかった。

四国アイランドリーグのトライアウトを受け、2005年、高知ファイティングドッグスに入団。

1年目は23試合に登板、3勝2敗と平凡な成績に終わり、戦力外の危険に晒されるが、冬季練習中に遠投110mの強肩を買われ、捕手に転向。そこから新たに 父・健一さんと同じポジションでプロを目指すことになる。2006年捕手1年目のシーズンは。52試合に出場するが打撃・守備ともに荒削りで、プロから声 がかかることは無かった。翌2007年は、前年を上回る65試合に出場。

目立った成績は収められなかったが、身体能力の高さを認められ、四国アイランドリーグ選抜に選ばれ、10月8日フェニックス・リーグで東京ヤクルトスワローズ戦に出場。2回途中、降雨ノーゲームの試合ながら1イニング盗塁3刺の神がかり的活躍で強烈にアピール。

この強肩ぶりがスカウトの目に留まり、11月19日のドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから育成枠1巡目で指名を受け、12月6日に入団が発表され た。艱難辛苦を乗り越え、父子の悲願だったプロ入りは果たした。しかし、それは、夢の実現へのスタートラインに立ったに過ぎない。

小山田貴雄選手は、現在、2軍で汗を流し、イースタンリーグにも出場。

スターティングメンバーでマスクを被る試合もあり、シングルヒットのみならず2塁打も放ち、大器の片鱗を見せている。

父が愛したスワローズで、父が果たせなかった正捕手として活躍することが、夢の第一段階の実現。小山田選手は、尊敬する父・健一さんの右肩の骨を常に身に付け野球に打ち込んでいる。父譲りの明るさと不屈の闘志で、必ずややってくれるでしょう。

小山田貴雄選手は、来る、7月8日・9日と対楽天戦で山形県野球場にやってきます。神奈川県出身ですが、紛れもないヤマガタ人です。

熱く、応援しようじゃありませんか。
 

2008年7月4日 「東京ヤクルトスワローズ小山田貴雄選手」