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[No.07]  ”沖縄の星”との縁


 野球部創部2年で初出場を果たした済美高校(愛媛)の優勝で幕を下ろした第76回選抜高校野球大会は、東海大山形高校が、県代表としては甲子園で初めてベスト8に進出し、山形県民にとっては記念碑的大会となった。また、選抜で、県勢初の本塁打をたたき込む(土谷・林両選手)など、大舞台に委縮することなく伸びやかにプレーし、持てる力を発揮していたのも頼もしく映ったものだ。

 春の選抜大会は、雪解け直後に開催される。東北・北海道の学校は、以前は、グラウンドで満足な練習ができないままで臨んでいたため、関東以西の学校から勝ち星を挙げるのは至難の業だった。本大会では、東海大山形のほかに、東北高、秋田商と、東北から三校もベスト8に入り、隔世の感がある。降雪量の減少や、選手の越境入学、設備の充実などさまざまな要因があるが、やはり、これは快挙である。

 春の大会での雪国校の活躍というと、昭和50年の第47回大会が思い出される。この大会では、北海道・東北の代表4校がそろって1回戦で西の学校を破り、2回戦に進んだ。当時の新聞には、"雪国勢強い ""雪国旋風"の見出しが躍ったことからも、選抜で雪国勢が勝つことがいかに難しかったのかが伺える。

 この大会の県代表・日大山形は、切れのある速球とカーブを投げる好投手・金子を擁し、打線も4番生駒を中心に厚みがあり、県勢初の甲子園2回戦突破の期待が持てる好チームだった。1回戦の初芝高(大阪)を5対0とシャットアウト。金子は8奪三振、散発6安打に抑える力投。初芝の竹井監督に「どうあがいても勝てる相手ではなかった」と言わせるほどの圧勝だった。

 そして2回戦の相手は初出場の豊見城高(沖縄)。当時の沖縄は今と違い、山形同様、野球後進県と見なされ、豊見城も前評判は低いものだったが、1回戦で、優勝候補の一角、習志野高(千葉)を3対0で下すや、がぜん注目を集めるようになる。特に、この年夏の大会で全国制覇する習志野の強力打線を、2安打に抑え込んだ二年生投手・赤嶺賢勇は、童顔の甘いマスクも手伝い一躍人気者となる。

 ちなみに、この大会から金属バットが採用され、11本塁打が飛び出すほどの打高投低(倉敷工対中京高の16対15のような乱打戦も)となったので、金子と赤嶺の初戦完封はキラリと光るものだった。

 両校の対戦は、雪国のハンディが出たのか日大山形に守備の乱れが出て、3回までに豊見城が4点を先取。日大は赤嶺に封じ込まれていたが、4、5回と長短打で 1点ずつ返し2点差にする。後半は、日大が再三得点圏に走者を送り押し気味に進めるも、要所でかわされ4対2で豊見城の軍門にくだり、県勢初の3回戦進出の夢は砕け散る。両校ともに9安打、残塁が日大9、豊見城8と記録上は互角だったが、内野守備エラーやスクイズ失敗など肝心な場面でのミスが勝敗を分けた。

 豊見城はこの後、原辰徳、津末らを並べ最強打線とうたわれた優勝候補の筆頭・東海大相模と対戦。この試合で、赤嶺は快刀乱麻の投球をし、9回2死までに13三振を奪い零封。最後の打者となるはずだった津末の一塁線のゴロがベースに当たり、ファウルグラウンドに転がりニ塁打となる不運。ここで赤嶺の緊張の糸が切れてしまったのか、連打を浴び同点。最後は、一塁後方ヘフラーと上がった打球が一塁手のミットからこぼれ落ち、逆転のランナーがホームを踏む、劇的なサヨナラ負けを喫する。

 東海大相模はこの後決勝まで進み、高知高を相手に15安打の猛攻をみせるが、延長13回、力尽き10対5で敗れ準優勝に終わる。なお、この試合での両軍合わせて26安打は決勝戦での史上最多である。

 後に、巨人にドラフト二位で入団し、プロ野球のマウンドも踏んだ赤嶺は「この大会での自分が投手としての最盛期で、対戦した高校で最も強いと感じたのは、東海大相模でも習志野でもなく、日大山形だった。」と述懐している。

  "沖縄の星"赤嶺賢勇と山形の縁は、これだけでは終わらず、より深いものになっていくのだった。


 2004年4月14日 「沖縄の星との縁」