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松竹大船・最後の作品「男はつらいよ」を継承『十五才 学校IV』


十五才 学校IV

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『十五才 学校IV』(11月11日から公開)は、松竹大船撮影所が世に送り出す最後の作品となってしまった。

松竹が、撮影所を蒲田から大船に移したのは昭和11年。以来、『愛染かつら』『暖流』『悲しき口笛』『君の名は』『東京物語』『二十四の瞳』『青春残酷物語』『砂の器』『男はつらいよ』。に代表される作品、1600本余を、64年間にわたって作り続けてきた。

島津保次郎五所平之助小津安二郎成瀬巳喜男木下恵介野村芳太郎大島渚山田洋次ら名だたる監督、そして田中絹代上原謙佐野周二佐分利信高峰三枝子原節子高峰秀子笠智衆岸恵子佐田啓二渥美清ら、時代を彩ったスターたちの顔が走馬灯のごとく駆け巡る。

このほかにも何千、何万人というスタッフ俳優たちが、この撮影所で映画への情熱を燃やしてきたことを想(おも)うと、時代の流れとはいえ、大船撮影所の閉鎖(6月30日)は、あまりにも寂しい。

そんな感傷的な想いを抱きながら、松竹大船ラストムービー『十五才 学校IV』を観(み)る。監督は、松竹の屋台骨を支え続けてきた山田洋次。昭和29年入社以来の生粋の大船っ子である。名残を惜しむかのように、大船撮影所にどっぷりと浸(つ)かって撮影しているであろうことは、想像にかたくない。ところがどっこい、山田監督は、こちらの勝手な想い込みを心地良く裏切ってくれた。セツト撮影はほんのわずかで、大半がロケーションだったのである。

主人公は中学三年生の少年、川島大介。登校拒否になって半年。彼は両親に内緒でひとり旅に出る。横浜から九州・屋久島を目指してトラックを乗り継ぐヒッチハイク。屋久島にある樹齢七千年を超える縄文杉と出会えば、何かが得られるのでは、変わるのでは、との想いが彼を突き動かしたのだった。大介は、旅先での人々とのふれあい、自然との闘いによって確実に変わっていく。

先日、山田監督が山形市内で講演した。そこで『男はつらいよ』の二つのポイントに話が及んだ。「寅さんは鈍行列車の旅が好きだった。ゆったりとした時間の中で、多くの人との出会いが楽しめるから」と、「日本はこの五十年で、どんどん乾いていった。物質文明の追求によって、ぬくもりや、しっとり感をなくしてしまったのではないか。だから、『男はつらいよ』の中では、川のせせらぎや海、雨など"水"を必ず登場させてきた」というもの。

とすると、『学校IV』は寅さん同様、少年の旅での出会いが主になるロードムービーであり、その上主な舞台が、一年の八割が雨といった屋久島。加えて川も海も総出演ということで、『男はつらいよ』の大切な部分はしっかりと受け継がれていたのである。

松竹大船の後半の顔となっていた『男はつらいよ』の、重要なエキスを注入された本作は、大船撮影所の揮尾(とうび)を飾るにふさわしい作品である。と同時に、新たな出発の意思表示の映画でもある。

松竹は、2002年末、東京新木場に新撮影所をオープンする。その時、大船のスタッフ、キャストたちは、大介少年のように、希望と自信を胸に再結集し、松竹・新木揚作品を熱い想いで生み出すだろう。今から首を長くして待ちたいものである。

2000年10月20日 (敬称略)