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尾花沢の雪中幻燈会 賢治の心映し出す


尾花沢の雪中幻燈会
絵:菊地敏明

今夜は美しい天気です。
お月さまはまるで真珠のお皿です。
お星さまは野原の露がキラキラ固まったようです。
さてただいまから幻燈会をやります。

子狐(きつね)の紺三郎の開会の辞に続いていよいよ幻燈会が始まった。狐小学校の幻燈会に紺三郎から招待された人間の子供の四郎とかん子は、餅(もち)を手土産に森の中での野外幻燈会に参加。子狐たちとともに白い布スクリーンに映し出される幻燈に観(み)入る四郎とかん子だった−−。

アニメーション映画『雪渡リ』(宮沢賢治原作)が、雪のスクリーンに映し出されている。じっと観ている子供、走り回る子供、スクリーンに向かい雪玉を投げつける子供など楽しみ方は千差万別だが、皆、日常から離れたファンタジーな映画体験に酔いしれ、目を輝かせていた。

これは去る15日、尾花沢市で催された"雪中幻燈会"の光景である。『忍たま乱太郎』『アンパンマン』の子供に人気のものから『雪渡り』『手ぶくろを買いに』の児童文学の名作ものまで二十分前後の短編アニメ作品七本が上映された。スクリーンは、雪を積み上げ平らに整えられた5×10mほどの巨大なもので、左右両わきにロウソクの灯が三本ずつ揺れている。夜の闇(やみ)の中で、この幻想的世界を約五百人の観客が共有する。ことに『雪渡リ』は、映画と現実の世界がオーバーラップし、観客をスクリーンの中に引きずり込んでしまっていた。

とかく、豪雪地帯における雪というと、"冷たい""寒い""厳しい"というマイナス要素を連想しがちである。それを雪の"白さ"に着目し、スクリーンの白さに結びつけたプラス発想は見事である。江戸時代の昔から、(出羽の)尾花沢は、飛騨の高山、越後の高田と並んで雪の景観を楽しむ日本三大名所の一つとして調(うた)われ、芭蕉が十日余りも逗(とう)留した地でもある。雪を愛(め)で風流を楽しむ気質は脈々と受け継がれていたようである。

実行委員会代表の鈴木清さんは、現在地元で家業を営んでいるが、かつては、映画好きが高じて、教職を辞し、東映に助監督として飛び込んでいった経歴を持つ。そして宮沢賢治をこよなく愛する青年でもある。"幻燈"とは現在でいえばスライドに当たり、スクリーンに動かぬ絵や写真を光で.映し出す"光の紙芝居"で、映画の上映会のタイトルとして幻燈会はおかしいのかもしれない。それを承知で"雪中幻燈会"という名前にしたのは、賢治原作の『雪渡り』をヒントに思いついた企画だからとのこと。

『雪渡り』では、幻燈会の休憩時間に四郎とかん子のもとへ狐の女の子が、きびだんごをのせた皿を二つ持ってすすめにくる。二人はこれまでの狐に対する先入観から、騙(だま)されるのではないかと食べるのを躊躇(ちゅうちょ)するが、自分たちを招いてくれた紺三郎を信じて、きびだんごを口の中に放り込む。それは、ほっぺたが落ちるほどのおいしいものだった。

その様子を見た子狐たちは、喜びの余りうたい踊り出す。幻燈が終わり、閉会の辞で、紺三郎が人間の子供が、狐のこしらえた物を食べてくれたことへの謝意を表し、大人になってもうそをつかず、人をそねまず生きていけば、人間にも理解してもらえ、狐の悪しき評判も無くなるだろうという事を呼びかける。みんなその言葉に感激し、涙ながらに歓喜の声をあげるのだった。

「今夜、皆さんは深く心にとめなければならないことがあります。私たち、子供のために、大きな大きな雪のスクリーンを作り、このような素晴らしい上映会を開いてくださった大人への感謝の気持ちです。雪中幻燈会を本当にありがとうごさいました。私たちは大人になっても決して忘れません」。尾花沢市の雪中幻燈会の最後に、紺三郎のこんな閉会の辞が聴こえた気がした。

1997年2月24日 (敬称略)